そんな風な経済記事が扱われ、政治にしろ、そのときの大臣連の出世物語、政界内幕話という工合であった。戦争がはじまったとき、すべての浪花節、すべての映画、すべての流行唄、いわゆる大衆娯楽の全部が戦争宣伝に動員された。大衆文学・大衆小説はその先頭に立った。原稿紙に香水を匂わせるという優にやさしい堤千代も、吉屋信子も、林芙美子も、女の作家ながらその方面の活躍では目ざましかった。
このように文化が戦争の宣伝具とされた時期、いわゆる純文学はどういう過程を経たかと云えば、周知のとおり、人間本来のこころを映す文学は抹殺され、条理の立った批判は封ぜられ、遂に文化という人間だけがもっている精神活動の成果をあらわす高貴な字句さえ禁ぜられて綜合雑誌の或るものはつぶされたのであった。
戦争で日本を破滅させた狂暴な権力は、こうして、一様に、純文学も大衆文学も潰してしまった。すべての人民が焼野の上に新しい民主日本をうち立てなければならなくなった。すべての人民が自分たちが主人となっての新生活を建設してゆくにふさわしい、自分たちの努力、よろこび、悲しみ、憎み、慰安を語る民主の文学が、生れ出るべき時期になった。古い純
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