には是非この知識がいる。「形容すれば文明女子の懐剣と云うも可なり」そして、この新興日本にふさわしい大啓蒙学者は青年のような英気をもって、「夫れ女子は男子に等しく生れて」という冒頭の一句から全篇二十三ヵ条にわたって真に心と肉体の健やかで人間らしい娘、妻、母を生むために必須な社会向上の要点を力説しているのである。
中島湘煙が、いいといった昔風な家庭の土台をなす益軒流の観念に対して、諭吉は歯に衣をきせず「女子が此の教に従って萎縮すればするほど男子のために便利なるゆえ、男子の方が却って女大学を唱え以て自身の我儘を恣にするもの多し(中略)女子たるものは決して油断すべからず」と警告しているのである。
四十余年前に現れているこの「新女大学」の内容の何分の一が、今日の日本に実現されているのであろうか。
たとえば女子の教育について、まだすべての高等専門学校、大学が女子の入学を許すところ迄行っていない。大正十年ごろ、美術学校や早大慶大が女子本科生入学許可の方針をきめたが、それは却下された。早大が昨年やっと正科に女生徒を入れるようになった。
日本の女子にとっては、一層必要とされている経済や法律思想は
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