、徳育の均斉した発達の必要と、家庭生活における夫婦の「自ら屈す可からず、また他を屈伏せしむべからざる」人性の天然に従った両性関係の確立、再婚の自由、娘の結婚にあたって財産贈与などによる婦人の経済的自立性の保護などについて説いている諭吉の「新女大学」は、今日にあっても私たちを爽快にさせる明治の強壮な常識に貫かれている。
 若い女性たちが数百の小説本はよみながら、一冊の生理書を読んだこともないひとの多いことをなげき「学問の教育に至りては女子も男子と相異あることなし」ということを原則として示している。けれども、日本の社会の実際は、女の向上を等閑にして数百年を経て来ているのだから、男と同等の程度に女の学問がおよぶためには相当の年月がいるであろうと見ている。
「文明普通の常識」程度として、「ことに我輩が日本女子に限りて是非ともその知識を開発せんと欲する所は社会上の経済思想と法律思想と此の二者にあり」とする諭吉の言説は、とくに注目されなければならない重要な点だと思う。婦人に経済法律とは異様にきこえるかもしれないが、その思想が皆無であるということこそ社会生活で女が無力である原因中の一大原因である。女
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