えばそれは手も足もどこに向って伸してよいか分らないようになるのが当り前と思う。目の先三寸の功利的な見とおしと行動の自信とは決して同一のものと云えない。現代の若い世代は、自分とひととの人生にまともに面して、負うている責任の感情を自身にたしかめてみて、そこが肯定されればその誠意を自信のよりどころと思いきわめて生きるほかはないと思う。
女のひとが人生への責任を自分から自分とひととの運命へ働きかけてゆく力として、どんなに感じているか。このことも、極めて微妙なことだと思う。いつぞや或る婦人のための雑誌で婦人と文化の問題についての座談会があった。文化的な仕事に才能を生きぬき、その向上のために献身するために、現在の日本の婦人はどんな社会的条件におかれていたかということが主として話題となった。日本では女のひとの立場は困難をどっさり負わされているという点が誰の注目をもひいて、語られていた。その座談会の記事への感想として、一人の女のひとが、男の理解を高めるということも大切ではあるが、日常には随分女自身無責任な生きかたをしていると思う点がある。そういうところも女として自省されるべきと思うという文章があっ
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