の大船小舟が船底をくさらせたり推進機に藻を生やしたりしているのはわかっていても、自分の小さい出来たもとの櫓《ろ》や羅針盤にたよりきれないような思いがする。
 ここに二人のひとがあって、一方は、所謂間違いのないという範囲で信用のある人物とする。もう一人は、時に意表に出たり、失敗したりもするかもしれないが、この人物のすることならよしんば失敗であったにしろ、決して卑劣卑小な動機から行動して失敗したりすることはあり得ない人物と思われているとする。かけられている信頼の度は二人のうちどちらがより深いだろう。こういう比較に示されれば私たちの判断は迷わない。言下にそれは後者だと云えると思う。そして、そのような信頼の源泉は、その人が常に自身の動きに対して責任を負っていて、その責任の態度がこの人生に向ってまともなものであるということから来ている点も理解される。
 自信も畢竟はそういうものではなかろうか。この複雑多岐で社会の事情万端数ヵ月のうちに大きく推移してゆくような時代に生き合わせて、受け身に只管《ひたすら》失敗のないよう、間違いないようとねがいつつ女の新しい一歩を歩み出そうとしたって、自身の未熟さを思
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