、常識追随である。

 この判断ということは、いろいろ面白い。非常に生活的なもの、複雑なものということで面白い。私たちの生活の刻々が意識するしないにかかわらず判断の継続、累積であり、そこにこそ「時間は人間成長のための枠である」という意味ふかい表現の真実がこめられている。
 今日のものを考え自分を考えて生きようとしている真面目な若い女のひとたちは、自分の判断というものに対してどんな態度をもっているのだろう。私はよく自信がなくて、というかこち言をきくので、そのことを考えさせられるわけである。自分なりひとなりの判断を肯定してそこに立ったとき、はじめて判断は現実のものとして存在するものだ。従って、判断とのかかわり合いに於て云えば、たといひとの判断に従う場合にさえやはりそこには従ってよいとするだけの自信が求められているのだと思う。

 判断と自信とは生きかたのうちに一体のものとしてあらわれて来るのだが、一体私たちの日常で自信があるというのは、どういうことをさすのだろうか。
 自信というのは、自分に向っての信用であるわけだが、それなら人間の信用とはどういうところにかかっているものだろう。信用という
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