るけれども、今日の私たちの生活の空気は、そういうことを真の悲しむべきこと、おどろくべきこととしていきなり私たちの心に訴えて来ないようなところがあって、それはあのひと一人にかかわりなく一般の考えなければならないところなのだと思う。私たちの生活から素直な情熱が失われているということ、しかもそれがあやしまれ、苦しまれもしていないということ、それはこわいと思う。
映画俳優のすき、きらいにしたって、つまりは自分の生活の弾力からの判断である。細かく表現はされないが、何となく虫が好かない、そういうことは名優と云われる人に対しても私たちが自分のこととしては主張出来る筈のことである。そして、虫は好かないけれど、演技は傑出しているというところを自分の好悪からはなして観るような芸術鑑賞のよろこびも、もっと女のゆたかな客観性としてもたれてもいいであろう。これまでの常識は主観的といえば身に近く熱っぽくあたたかいもの、客観性というものは冷たい理智的なものという範疇で簡単に片づけて来ているけれども、人間の精神の豊饒さはそんな素朴な形式的なものではない。女を度しがたい的可愛さにおく女の主観的生きかたも、女がそれに甘
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