でなければならないと思う。女自身が女として仕事、人生に責任をしっかりと執って、そのことで周囲がその女のひとに対する責任を、おのずから知られるよう、そういう生きかたを自分に課さなければならないと思う。
 保守的な女のひとも、先ず女が自分の責任を十分知らなければ云々、と云った。その場合意味されていることは、要求するより先に課せられた義務を果せ、という内容づけであった。そして、彼女たちは課せられている義務が女にとってどんな苦しいものか或は重圧か、ということには省察を向けなかった。
 今日、私たちが、責任を知るというとき、しろと云われたことは何でもやる、死んだ思いでするという判断のない服従からの行為を意味するのではなくて、人間として、職業婦人としての生活をしているものとして、するべきこととしない筈のこととの判別を明瞭に自覚してゆく意味だと思う。
 せめて遊ぶ余裕ぐらい、とどこかに肱をついているような自分の心持を自身で見なおしてゆく態度、それが責任だと思う。
 恋愛についても、結婚生活についても、このことはやはり云える。自分の生きかた、心持に責任を感じていなくて、どうしていい恋愛や結婚が出来よう
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