らない仕事をしているのに、遊ぶゆとりもなくちゃやりきれないわ。きっとそんな心持があるのだ。
なるほど、女のひとはトレーサアなどやっても、非常に末梢的に使われて、朝出勤するときょうはどこそこで何をやってくれ。そして、明日はと全く別なところへ移動させられ、技術は只迅いとか仕上げが奇麗とかいうところでだけ評価され、決してそのひとがより精密な高度なトレーサアとして成熟してゆくような機会はなく、こきつかわれる。給料は勿論やすい。やすいからこそ女があらゆる部面でつかわれている。
それが歪んだ人間の使いかたであるからと云って、その歪みを生き身にうけて、云って見れば自分たちの肉体で歴史の歪みをためてゆかなければならない私たち現代の女が、歪みのままに自分の気持を萎《な》えさせて、どうせ、と云ってしまったら、どこから自分たちの成長の可能がもたらされよう。
せめて遊ぶ暇ぐらい、ねえ。そう呟く心持は、逆な方向と表現で、どうせ女は、という旧来の通念を我から肯定しているにほかならない。仕事の上で女として自分を守ったり主張したりするというのは、こういう、どうせ[#「どうせ」に傍点]に立脚した態度とは反対のもの
前へ
次へ
全16ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング