を示して頂いたのは、ほかならぬ千葉先生であった。心理学という学課が入って来た五年生の時、野上彌生子の「二人の小さき※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ァガボンド」が、『読売新聞』に掲載された。この作品で、はじめて野上彌生子という作家も知ったのであった。
メレジェコフスキーの「トルストイとドストイェフスキー」などを、自分なりの理解で熱中してよみ、長い昼休みの時間、そういう本をもって、本校と云われた古い赤煉瓦の建物の、閉ったきり永年開けられることのない大きい扉の外の石段にかけて読むとき、何にたとえん、と云う満足であった。すこし引込んだ庭かげになっているそういう石段は、夏でもひいやりとして、足もとには羊歯などが茂っていた。遠くには大勢の人気のある、しかもそこだけには廃園の趣があって優美な詩趣に溢れていた。わたしは自分の隅としてそこを愛し、謂わばその隅で生長したのであった。
日本女子大学の英文科予科に一学期ほどいたことがある。ここの学校でも心に刻まれているのは、構内の雑木林である。網野菊、丹野禎子という友達たちと、そこで喋った雑木林が忘られない。学校そのもの、女学生そのものについて、い
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