合わせると、本当に不思議な気もちがする。長袖の紫矢がすりに袴をはき前髪をふくらませた長い下げ髪をたらし、手入れのよい靴をはいた十八九の娘たちは、一目みて育ちのよさがわかるとともに、何とだれもかれも大人っぽく、遊戯なんか思いもかけず、もう人生の重大さを知っているという様子をしていたことだろう。彼女たちは、本当は何にも知ってはいなかったのだ。それは、今になってはっきりわかる。あの身ぎれいな、行儀のいい女学生たちの重々しさは、知識の重々しさでも希望の重要さでもなくてつまりは、暢びやかでない若さの重み、将来というものにちっとも見とおしがなくて、漠然と充満している若い女の期待の重苦しさであったのである。
上級生になってから、学校の図書館に出入りしてよいことになった。丁度その頃、千葉安良先生という一人の女先生が西洋歴史からやがて教育と心理学とを受持たれた。この先生こそ、私にとって忘られない先生である。千葉先生が、教科書以外に図書室から借りてよめるいくつかの本を教えられた。ヘッケルの『生命の神秘』という本もあった。文学の本は自分の滅茶な選択でもおのずから整理されてよめたが、文学以外の読書のひろがり
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