それは、暇な時には、随分想像を逞しくして、あんな家、此麼《こんな》家と、考えを廻します。又、何かで肝癪が起り、周囲の物音や、風で吹込む塵までひどく気になるような時は、どんなにでもして、独りで、じっと納っていられる部屋が欲しいと熱求します。
けれども、真個に、部屋なら部屋、机なら机を有効に用っている時――仕事の出来る時――は、まるで家のことなどは忘れ切り結局、その為に、あくせくすることは無くなって仕舞います。
なかなか家などは建てられませんでしょう。少し考えれば、建てられても自分の所有のためには建てないかも知れない。
私は、何も、「自分のもの」とする必要は些も感じていないのですから、金持の土地のある人が、もう少し心持よい貸家を、安全な、リーゾナブルな条件の下に貸して下されば死ぬまで其処にいます。
何でも物が、あまり端的な売買関係にあると、全く人間的感興の欠けたものとなって仕舞う通り、「家」と云うものに対する我々の心持も、あまり、コムマアシャリズムに堕したくないものと思います。
家を建てさせる丈の金はある。さあ、と云って、商売人にまかせたきりでは、誰でも不満を覚えましょう。自
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