分で種々考えている。相談をする。プランを種々に引いて見る。そして、やっと出来上るから、仮令、一つの石を自分で運んだのではなくても、「我が家」と云う心的の繋が出来るのです。若し、真個に家につながる各々の心、記憶愛と云うものを感じ、尊むとすれば、現代の、多くの人々が新たな家に対すより、或は、もう少し濃やかな、深いものが必要なのではないでしょうか。家の、大体の建築を自分でする等と云う事は、不可能と知れていますが、少くとも、庭園に対する注意、室内装飾の或る部分は、家を営む者達の手――心でどうかなると思われます。
 植木屋を手伝い、男――良人や男の子等は、花壇作り樹木の植つけ等を、分に応じて助力する。母親や娘は、彼女等の手芸、刺繍、パッチ・ウワーク等を応用して、暇々に、新たな壁紙に似合う垂帳、クッション、足台等を拵える。
 公共建築や宮殿のようなものは例外として、中流の、先ず心の楽しさを得たい為に、居心地よい家を作ろうとするような者は、此位の共力が、決して不当なものではあるまいと思います。新らしい家と云うものが、ちっとも、贅沢な、フリーボラスな気分を醸さず、素朴な、自分等各々の献物によって形造ら
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