い人は
私に、ひたすら、涙を流させるために
私の前に現れたのか
涙
ながれちるわが涙
どこにそそごう――
私の愛す人の胸は遠くかたく
涙にとけるとも思えない。
ああ わが涙――
歎くまい。私はひとりささやかな
我芸術の花園に
此 水のしずくを送ろう。
土が柔らかなら花床よ
私の涙をしっとりと吸い
優い芽をめぐませて呉れ
花も咲くように――
涙はあまり からくないか。――
*
彼ゆえに
幾千度
ながす わが涙ぞ。
なまじいに
逢わざらましを。
七月十二日
夕暮五時の斜光《ひかり》
静かに 原稿紙の上におちて
わが 心を誘う。――
純白な紙、やさしい点線のケイの中に
何を書かせようと希うのか
深みゆく思い、快よき智の膨張
私は 新らしい仕事にかかる前
愉しい 心ときめく醗酵の時にある。
一旦 心の扉が開いたら
此上に
私の創る世界が湧上ろう。
一滴 一滴
水の雫が金剛石《ダイアモンド》の噴水を作るように
一字一字
我書く文字の間《ひま》から
生き、泣き、笑い、時代を包む人生が
読者の胸に迫るのだ。
ほの白い原稿紙
午後五時のひかり
暫く その意
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