で狭隘化している文壇から、もっとひろびろとした生のままの人間的情熱の歴史的課題そのものの中へひらき得る予想にかかっている。「現代ヒューマニズムの文学」(青野季吉・新潮)で、「現代のヒューマニズムは反動的バーバリズムからの人間の擁護である」といわれていることは、最も普遍的なこの問題の本質として肯定することができる。
 現代ヒューマニズムは日本のインテリゲンチアがマルクス主義に絶望し、それと訣別したところにその出発があるのではなく、マルクス主義をも含めて一切の人間の精神の活動や行為、人間的独立が、虐げられ踏みにじられていたところに、そのノッピキならぬ出発があるとしているのは、正当な理解である。その社会的共感の基礎として集団的人間が予想され、今日のわれわれの合理性の声として、人間性を内容づける階級性も、当然思惟の領域に入っているのであるが、それを性急に従来の定形に準じて方向づけてしまっても、観念上の満足にとどまって、現代ヒューマニズムという広汎な名称をもった思想の要求は、それの発生する日本的な社会の特徴、その複雑性と困難性を反映しているのである。
 このヒューマニズムは、文学を社会的、現実的
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