会的現実が頽廃的であることと、それを描くこと、虚無に徹することで新たな人間性を見出すと主張されて来た文壇的な文学は、はたして、頽廃を描き得る社会性や情熱を蔵しているであろうか。頽廃を描く文学であるか、あるいは文学そのものの頽廃への傾向であるか。
プロレタリア文学の敗北的な事情、状態がもとよりこのことには大きい相関関係をもっている。プロレタリア文学がそのおびただしい未熟さにかかわらず、日本の文学の発展のために益した点は文学の内容表現における社会性の評価であった。二三年前プロレタリア文学運動に蹉跌を生じ急速に退潮するとともに、文芸復興の声が高くあがった。それには、当時として必然なさまざまの理由があったのではあるが、それ以来多くの作家の「芸の虫」めいた技法追究は激しく推移する日本の現実の情勢から、作品の社会性を、すごい有様で引はがしてしまった結果を生じているのである。
ヒューマニズムの問題
本月もヒューマニズムの問題はほとんどすべての雑誌にとりあげられている。ヒューマニズムがこんにちの現実の中で持っている健全性への可能は、文学の視野をすでにその発展のためには、ある意味
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