あるが、今月の「父母」(改造)の最後の章の効果を、作者自身は何と見るであろうか。慶子という少女の青春の美をめぐって軽井沢風景の間に描かれる作者の幻想の世界から、最後に作者自身が飛び出し、「信念のないロマンチストは皆ファンティジストに過ぎず、信念のないリアリストは皆センチメンタリストに過ぎぬ」と結び、それによって逆効果をひき起し、ある機智的な鋭さで、閃光のように作家としての良心の敏さ、芸術境の独自性を全篇の内部に照りかえそうと試みられそうであったかもしれない。ところが、「父母」全篇を通じての一番普通の人間はわかりよいこの文句には意外に現実的な生活力がこもっていて、効果は平凡に、だが正常に働いてしまった。最後の一句のおかげで、旧約聖書の雅歌の一くさりまでを引用し、築かれた幻想の世界はにわかに作者自身によってかきまわされ、こわされ、読者は索然と、何か作文を読まされたような感想を抱くのである。
 川端氏の芸術境において、こういう顕著な気分の崩壊が示されていることは私の注意をひきつけた。最後の一句を付けさせた一種の神経質さはどこから、いつ、川端氏のところへしのび込んだのであろう?
 こんにちの社
前へ 次へ
全17ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング