宇野千代・同)「空白」(立野信之)そのほかいくつかの小説をこの数日の間に読んだのであるが、結局私の心にはその一作一作についての感想を語る興味が生ぜず、むしろ総括的な一つの疑問がのこされた。何故なら、以上の諸作品が、それぞれの作家にとって自信あるものでないことは誰の読後感においても明らかなことであるから。ただ、これらの沢山の小説のほとんど全部を芸術的に弱い作品たらしめている原因を観察すると、こんにちの文学の問題としてある疑問が生ぜざるを得ない。
これらの作品の中には、ただ一つも熱心のあまり失敗しているというものがない。意あまって筆足らず、ついに親しき失敗を示しているというものもない。ましてや、こんにちの嶮阻な時代と闘う人間の情熱、複雑困難な現実を把握しようとする意企から芸術的均衡が破れているというようなのは見当らない。多くの作品は、共通に、作家の芸術的確信の喪失、自身が作品において主張し得る社会性、存在権に対する懐疑から稀薄にされ、弱められているのである。
川端康成氏は、今日の文壇で、自身としての芸術的境地を守ること、切磋琢磨することのきびしい作家の一人として一部の尊敬を得ているので
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