ころが更にもう一歩すすんで、きわめて素朴な質問がここになされる。では、そのような教養はどこで得られるであろうか、と。どういう人間的鍛錬と文学的な勉強がされるのであろうか、と。答えは出されている。「悪時代及び社会との闘争の中において生かされるのであり」「現代ヒューマニズムの文学の社会性はまた社会に対する闘争的性格に加えて、社会の客観的理解によって特性づけられなければならない。というのはその現実的局面が、当然それを要求するからである」と。
 ヒューマニズムの発祥点が、現代の社会の特徴によって雑階級的にあること、それぞれの性格的な持物を否定せぬままに前進しようとし、また、せざるを得ない客観的事情もあり、現代ヒューマニズムがプロレタリア・リアリズムと出発を異にするといわれていることも、一応肯けなくはない。然し、人間社会の歴史的展望に立って見わたした場合、きょうの日本的現実に反応する積極性の一表現として支持されるヒューマニズムとプロレタリア・リアリズムとの関係は、ただ単に、並列的に出発点がちがうといわれるだけでは、かんじんの何かが欠けていると感じられる。後者への見とおしが、何かの意味でその中枢神
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