じゃあ、先生の好きなのはどういうんだろう、と、自然、先生のうけいれられる限界に縮めて自分をあてはめる術を会得してゆくということがその二つ。そして、これは優等生の一人をつくる第一歩であり、優良社員をつくる一つの道であり、けちな面白みのない人間が一人ふやされゆく道どりでもある。
童心のきよらかさとはどういうものだろう。子供はわるいことをする。ひどいこと、すごいこと、そのどっちもする。子供の心にある憎悪は大人を恐怖さえさせる。それでも子供の心がきよらかだというのは、どうしてだろう。子供は、憎らしいから、うんと憎らしい顔をしてみせるので、ここいらでこんな顔も見せておこうという意識されたジェスチュアはない。きよいというのならば、その点を云える。だから、私たちは子供相手で本気に腹を立てるし、泣いたり、よろこんだりもする。
子供の世界を描いた文学の多くが、何となく清潔感を欠くのは、ここのところの解釈に微妙な関係をもっている。純真ということを、大人の一生懸命さにひきつけて意味づけたり、無心さを、いじらしさと溶けあわさせたりして、大人の感傷に作家が我知らずこびるとき、子供の世界の最も生粋な陽なたく
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