さくて、心持のいい颯爽《さっそう》さは消えて、そこに子役が登場して来る。
現代の文学史のなかで、昭和十三年ごろ、子供を描いた作品が流行したということには、なおざりにされない意味が感じられる。この時期に日本の文学は、人間肯定の行手に様々の障害をみて、文芸評論は骨格を失い、批評文学という名で呼ばれる主観的な断想表現の道へ歩み入った。随筆が流行し、「小島の春」がひろく読まれ、一方では生産文学や、開拓文学が出現しはじめた時期であった。
文学に人間らしさを探ねる本来の欲求は、それら、一つ一つの扉をたたき、しかも、何かみたされない心の郷愁を、子供の世界に憩わせようとしたと思える。
けれども、そこも文学にとって遂の棲家であり得なかった。現実は健やかであると思う。子供たちは大人の心やりのために、彼等の喚声と動きとの明暮をもっているのではないのだから。
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:不詳
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