蓮生坊」「大磯がよい」「女中の病気」「スサノヲの命」。
 一九二五年。松竹キネマ製作の映画「坂崎出羽守」は戯曲「坂崎出羽守」の著作権を侵害せる事実明白なるにより、劇作家協会の後援を得て社長大谷氏を訴う。国民文芸会有志の熱心なる調停に動かされ、和解す。その際松竹より提出せし金円は著作権法改正運動に使用する条件を附して劇作家協会に寄附する。
 一九二六年。劇作家協会と小説家協会とを合同せしめ、新に文芸家協会を作ることに尽力す。この年、四十歳になったこの作者によって、初めての長篇小説「生きとし生けるもの」が東西朝日新聞に書きはじめられた。続いて幾多の戯曲(「女人哀詞」を含む)と「波」(一九二八)「風」(一九三〇)等の長編小説が発表された。一九三一年で終っているその年譜の最後の項は次のように結ばれているのである。
「政府の議会に提出せる著作権法改正案に対し文芸家協会案を提げ修正を迫る。これに関連し『東京朝日新聞』誌上に『我等の主張の根本要旨』(主として著作権法中、教科書の無断採録について)を執筆す。我々の意見殆ど全部容認され、右議案二月末貴族院を通過す。衆議院を通過することも亦決定的なり。四六
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