到って、この作者の核心を画すテーマの曲線は充実した力を失っている。「真実一路」の守川義平が、なすべきこととした生きかたの内容は、その主観的な考えかたで、「生命の冠」の有村恒太郎の行為より遙に社会性が尠く、貧弱化した。「真実一路」のこの主人公は、生涯の終りに当って、為すべきと信じてしたことが、現実には誤りの連りであったことを告白し得るのみであった。従来の生きかたが誤りであったことを自覚したとき、更に誤りを重ねまい為には破局をも忍んだ「津村教授」の熱意はない。この作品で、作者が「或意味では幸福な人」としている睦子の生涯というものも、誤った人生の発足から虚無的な生活破綻に陥り、只その壊滅を惚れた男と共に出来たというところに、僅に或る意味での幸福がかけられているのである。
 今、東西朝日に「路傍の石」が連載されているが、山本有三氏が、どんな新しい意力と用意とでもって、今日の彼の読者の胸底に疼いている如何に生くべきかという問いに答えて行くであろうかと興味を覚える。人及び芸術家としての幸福とは、果してどういうところに在るものであろうか。特に、「真理を愛し真実の生活をいとなむ」ことと「社会の中枢にた
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