るとかないとかいうことではない。大処高所から自分とわが子の運命の意味を見とおして、互に傷つきながらゆるがぬ情愛を持つ親は、現在の世の中に全然ない例ではない。
「女の一生」で最も重大な允子の「第二の出産」も、子にばかり頼る不甲斐ない母であるまいとする日暮しの運びかたが強調されていて、「母親というものは生むもの、創造するものである」という健気《けなげ》な自覚を内容づける母としての愛の高まり、拡大、愛の驚くべき賢こさが働くならば、去った息子との間に新しい精神的接近の試みがされるであろうこと等が、全くとりおとされているのは、非常に惜しいと思う。允子の第二の出産に於てのしっかり工合の中には、作者によって彼女の人道的医療がふれられていても、何だか硬く、自分の身を守る決心をした女の底冷たさが流れているのはどういうものだろう。息子との間は、生活的本質で断たれっぱなしで、そこはそれなりで、しゃっきり腰をひき立てた允子の姿は、人間的豊富さにおいて物足りない。
 野上彌生子氏の「若い息子」における母の感情を、允子の場合と比べて、感じるものがあるのは私一人ではないだろうと思う。「若い息子」の母親は、やはり高等
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