っつらまえる方が間違っているんだと、そう単純には思いこめず」パーウェルの母とは逆に「向《むき》になっている息子をしずめることこそ、現在のような事情の下にあってはむしろ母親のつとめだ」という考えを固執している。
 允男は遂に家を出てしまった。公荘は悲歎の裡に死ぬ。允子は不安の絶えないその後の生活の或る日映画の「丘を越えて」を見物して、心機一転した。允子は「丘を越えて」の母親の生きかたの不甲斐なさに刺戟され「女は年をとると子供の外に何もないのがいけないのじゃないでしょうか」「母親は丘を越えて養老院へはいることじゃなくて、もっと大事な丘を越えなくちゃいけない」「女には二つの出産がある。肉体的の出産ともう一つの出産が。肉体的の出産によって女は母になる。そしてもう一つの出産によって母親は人間になるのだ。」允子はそれによって「子は社会に生れ、母は社会に生きるのだ」ということに思い至る。そして、長い苦しみの中から初めて光を認め、また元の仕事をやって行く決心をする。「波」「風」等に比べて、遙かに意慾的なこの作品は、或る労働者の赤坊をとりあげてやった女医である允子が快く早朝のラジオ体操の掛声をきくところ
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