し、一種の好感も覚える。けれども、わからないならわからないとして、どこまでも自分として納得できるまでわからないで通しているかといえばそうではなくて、半面ではごく常識的な結婚の幸福とか生活の安定とかいうことが、知らず知らずのうちに打算せられていて、親の眼鏡にかなったものなら安全だろうという結論がちゃんと気持の中にできている。両親の反対する結婚が必ず人間的な内容ですぐれたものだというようなことはもちろんいえないことである。経験に富んでいるということがすなわち人間的識見の高いということになっているような幸福な両親を持っている人ならともかく、その娘さんのいう場合では、ただ世の中のいろいろのことを知っているからという意味でいわれていた感じであった。もし真に人生のわかった人間をみる明のある両親であったならば、かえって結婚というようなことを自分たちまかせにして考えるような娘を悲しく思うのではなかろうか。何も親に楯つくのがいいというわけではなしに、やはり娘は娘としての人間の好みとか判断とかをちゃんと持っていてほしいと思うだろう。結婚が子供を産むためといわれることの中にも今日の産めよ殖やせよ、が反射的に
前へ 次へ
全15ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング