とりあげられていることを示している。
 専門学校程度の教育といえば現在の日本の若い婦人の身につける教育としては最高の部に属している。座談会へ出てそのようなことを述べるという点では、人に臆さないという意味で社会的でもあると思う。それにもかかわらず、一人の女として人生に向ってゆく気魄の点では何一つ生新なものを示していない。かえって年をとっている男の作家の方が現実生活の中へ何か人間として前時代よりも前進したものを求める態度である。教育や目下働いている務め先の知的な性質というようなものは彼女に本質的なプラスの一つともなっていない。世の中に出て働く若い人の数がふえたということや、働く部門の拡大ということとその人たちの生活の実質の高まりとはこのようにも距りをもっているのだということは、私たち女をしみじみと考えさせることではないだろうか。その人にしろ菊池寛の小説は通俗小説だというであろう。けれども生活の根本ではどれだけの相違をもっているであろうか。文化のある時期には、若い人が精神においても若いといいかねるような悲劇が生じる。
 教養の常識性はこれとは反対の形でも現れるものだ。例えば森田たまさんの随筆
前へ 次へ
全15ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング