の中には、着物について、住居について、食物について大変趣味の高いような話がたくさん出る。どこそこの何という店の何。私たちの日常の世界にはそう入って来ない店の名や宿の名や食物の名が語られているが、趣味というもの、そういう面で教養と呼ばれるものの本来の姿とはいかなるものであるはずなのだろうか。世間には定評というものがある。その道の人なら誰でも知っているというものもある。その店のものがその店なりによいということは当り前だし、いわゆる通という人たちが、かれこれ比較したりすることも当り前のことだろう。それらのことを、知らないような年齢や種類の人にむかってとかく語ること、そして感服さすこと、それが趣味の本体であろうか。
趣味というようなものは人の心にあっても物の関係でも、何でもないようなところに含まれ発露するところが面白いので、女の味わいというようなものも計らぬところで横溢してこそ意味がある。女形ではできない生きた女が現れる。何でもないようなもののとり合せの間に人の真似られないその人らしさで着物も着、料理もする、そこにその人でなければみられない笑顔と同じような身についた美が発揮されてゆくのだと思
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