う。通ということはそれなりでは趣味でもないし教養でもない。あれこれの通に嚇《おど》かされず自分の本当の好き嫌い、よさわるさを判断としてもっていてこそ趣味があるといえようし、教養があるといえよう。
常識的であるということと実際的であるということとは、目前の結果から物をいって評価するところで互に非常に似通っている。同時にそれが大局的にみて百年の為に何事かを計画するという愉快な気分を失っていることでも互に似通っている。とくに日本のしきたりの中では今日でも男よりも女の方が常識の負担のもとに生きている。家庭生活の中でもいわゆる実際的なことを男よりも多く受持つのであるけれども、それが女の生活における現実の豊かさとして実って来ないのはなぜであろう。面白いお婆さんよりもいやなお婆さんの方が多いというのはなぜであろう。ふざけて男の人たちが、困った事、厭な事を現す字にはとかくどこかに女という字がつくと笑うのはなぜだろう。
常識的であるということと実際的であるということは似ているが、現実的であるということは必ずしも同じ内容をもっていない。現実的であるという場合には、自分の生きている時代の常識の性質やその
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