山の彼方は
――常識とはどういうものだろう――
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)海豹《あざらし》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)若い雄の白|海豹《あざらし》ルカンノンの物語がある。

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四〇年四月〕
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 よく、あの人は常識があるとか、常識がないとかいう。生活の普通の言葉として、私たちが使っている常識というのは、どういうものなのだろう。
 世間普通に、誰でも知っているはずのいろいろなこと、判断の標準、善悪の分けめ、それらをひっくるめて私たちは常識といっていると思う。従って歴史の時代に応じて、常識の内容にもずいぶん大きな変化が起ってくる。今日私たちは、ギリシャの彫刻を非常に尊重して、たとえば、ミロのヴィーナスなどといえば、それこそ常識の範囲でも立派なものとしてうけいれられているのであるけれども、そのギリシャの彫刻にしろ、文芸復興までの暗い中世の時代には、常識がきびしい宗教の重しで窒息させられていて、たまに廃墟から現れる美しい古代の裸体像は、悪魔
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