人類の歴史に何かを加えた人間の仕事は、その核心にそのような心をかくされたきっかけとして持っているというのは何と楽しいことだろう。たとえばキュリー夫人のラジウムにしろ、もし彼女とその卓抜な夫のピエールとがある発光体に最初の注意をひきつけられてゆかなかったとしたらば、彼女の不撓《ふとう》な根気強さもラジウムに到達することはなかった。
 こうして考えてみると、現実を知っているということと、常識的であるということとの間には案外大きい違いがあることを知る。知識や教養の常識性ということがここから生じて来る。

 せんだってある婦人雑誌の座談会で、専門学校程度の勉強を終って今は知的な職業に就いているような若い女の人数人と二人の男の作家が結婚の問題などを中心に話していた。その中で一人の女の人は、結婚について、私には結婚ということが本当にはまだわかっていないと思います。お友達にきいたら、それは子供を産むためだといいましたけれど、といい、結婚の相手を選ぶことはやはり両親の意見に一任するのがよいと思う、両親たちは経験をもっているから。という意味のことを語っていた。それに対して作家の一人は、結婚というものがい
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