蔕《へた》の方から腐りかけていた一つの柿が、彼にとって重大であったのである。

        三

 それほど、その柿が重大であるには訳がある。
 彼は、もちろん親父も和尚も知るまいと思ってしたのだったが、案外なことに和尚さんはちゃんと知っていた。そして知っていたばかりか、今、親に別れて、他家へ寝とまりしなければならなくなった子供とは思えない胆の太いところがあると云って、讃めたのだそうだ。
 親父はいい子を持ったと云われて大いに面目を施し、村へ何よりの土産にその言葉を持って帰った。
 私には、胆が据わっているとか、太いとかころ柿を盗んだかどうだかは分らないが、ともかく、彼は和尚さんのお気に入った。
 三郎坊主、三郎坊主と云って、お斎《とき》の出る所へのお伴は、いつも彼に云いつけられ、
「この小僧はな……」
という言葉を前置きにしては、あの柿の一件を行先々で吹聴される。するとまた、聞くほどの者が、皆感歎する。そして、今まで呉れそうもなかった菓子など、よぶんに挾んでくれたりする。
 彼は得意にならざるを得なかった。夜、和尚さんに炉辺で、一休和尚の話を聞いては、ひそかに、自分の身の上と比較
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