ていられなかった彼の親は、庭の掃き掃除、台所の手伝や小間使いを勤めるのと引き換に、「音信ぐらいは書ける」手習いを授けてもらうことにしたのである。
藁で小さいちょん髷《まげ》に結い、つぎだらけの股引に草鞋《わらじ》がけで、大きな握り飯を三つ背負った彼は、米三升、蕎麦粉《そばこ》五升に、真黒けな串柿を持った親父につれられて、ポクポクポクポクと髷には似合わず幅広な肩の上へ、淡黄色い砂埃を溜めながら、遠い路を歩いて行った。
そして、どこまでだか送ってくれた、遊び仲間が別れるとき急にあらたまって、
「行かしてごぜ……」
と、一斉におじぎをしてくれたときには、生れて始めて、「胸にはあ、おっちみるような心持」がしたそうである。
けれども、それが悲しさであったのだろうと、一言の説明を加えない彼は、やはりそのときも、それが何だか知ろうとも考えようともしなかったのだろう。
彼はただ、門の傍にどんなにおいしそうな柿が熟れてい、それをどんなにして、行った早々の自分が盗み、どんなに満足と勝利の感に充たされながら、話している和尚と親父の傍で食べたかということだけを、はっきりと覚えている。
それほど、その
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