のででもあったろう。
無学な彼には、一言一語よく訳の通じない言葉はあっても、旦那様の「思惑」は、自分のもののように、よく分った。
山沢さんが、泣きたいような心持のときには、彼も何だか気が沈む。情ない、「おっちみるような」気がする。
けれども、山沢さんが得意に昂奮しながら、功名話をするときには、彼もまた自分と山沢さんの見境がなくなるほど、心が嬉しかった。
世界中の人間に、どんなもんだ! と云いたいように意気揚々とする。
まるで社殿の、「あまいぬ、こまいぬ」のように床の傍から片時も離れずに一緒に笑い、一緒に憤りしながら、三郎爺は旦那様の顔に現われて来る不吉な相貌をどうすることもできなかった。
助からない病が、だんだん顔へ出て来るのが、年の功で分るのだそうだ。
そして、とうとう、まだそう年寄りとはいわれない六十の春に、三郎爺の唯一の愛護者であった山沢さんは、逝ってしまったのである。
彼は、もちろん非常に悲しかった。大層泣きたかった。両方の肩が、げっそりするほど、力が落ちた。けれども、彼の脣からは、ただ、
「これも世の中だ、仕方があんめえ!」
という言葉が、一句洩れたきり、彼は
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