に、彼は今なお愛すべき矜恃《きょうじ》を感じていることだけは確である。
 けれども、「屋大工」の処には、かなり長い間いたらしい。そこで相当に腕も出来、顔も広まり、川辺――これは村の名である――「川辺の三郎どん」の存在は、ようやく明かになって来た。
 音吐朗々という形容が、全く適切なほど、量の豊な、丸みのある美音と、見事な眼と、雲を突くような偉大な体躯の所有者であった彼は、まだやっと二十一二の若者として、或るときは大工になり、或るときは耕作をしながら、徐々と開け始めた明治という年号の下に、かなり仕合わせな月日を送っていた。
 そして、その頃からボツボツ着手されていた、附近一帯の開墾事業が、彼の生活に微ながら、幾分かの影響を及ぼし始めた時分には、昔鐘の真似をした三郎坊主とは、見違えるような「若えてえら」になったのである。

        五

 その開墾というのは、彼の村と隣り村との間に、果もなく広々と横わっている草刈場を新しい村落にする計画であった。
「狐っぱら」という名がついていたほど、そこには狐ばかり棲《す》んでいた。あまり狐が多いので「烏さえ来ない」ほどだったのだそうだ。狐がいる
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