知っていないが、世馴れた概念で大まかにつかんだものの云いかたでドイツ語の進み工合を訊く父親の言葉、一品の皿も自分の愛情で味を濃くしてすすめるような母親の素振りを、順二郎は格別うるさそうにもせず、
「そう?」
「いや僕いらないよ」
などと、ゆったり、いかにも素直に受けこたえしている。
姉弟の間だけで話が弾みはじめた。
「ドイツ語って、やっぱり田沢さんとこへ行ってるの?」
順二郎が高校を受験するとき、準備して貰った独逸哲学出身の人のことであった。
「ちがう。田沢さんが紹介してくれたドイツ人、カフマンての」
「この頃でも田沢さんに会う?」
「うむ、ちょいちょい」
「やっぱり蒼くって、深刻そうにしている?」
ふ、ふ、ふと、悪戯《いたずら》そうに笑う宏子につれて順二郎も、ふっくりした顔を笑いにほころばした、ただ声だけは出さないで。
親たち夫婦の間には、また別箇な話題がすすんでおり、宏子は三井とか某々さんがとか、新聞でよむような人々の名を小耳に挾んだ。丁度姉弟の間で、ドイツ語の発音やエスペラントの話が盛になって来た時であった。築地の土地が、とさっきから没落した実家の処理について話していた母
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