感じは、夕方、父親の泰造が帰宅してやっとしんから自由な、団欒の空気の中に解きはなされた。玄関の方で耳なれた警笛が鳴ったのをききつけると、宏子は、
「そら、ダッちゃんのお帰りだ!」
 短いソックスで畳の上をすべるような勢でかけ出した。もう、沓脱ぎ石へ片足をかけて靴の紐をといていた泰造は、紺の襞《ひだ》の深いスカートをふくらませたままそこへ膝をついた宏子を見ると、
「ヤア、来たね」
 茶色のソフトをぬいで娘に手渡した。
「どうしたね」
「父様は? お忙しい?」
「泊ってくんだろう?」
「ええ」
「どうだ、何か御馳走が出来ましたか」
 瑛子は、食堂のテーブルのところへ坐ったままで、娘の肩へ手をかけながら現れた良人に、おかえんなさい、と云った。瑛子は、永年の習慣で、朝は何かのはずみで送り出すことはあっても、帰って来た時玄関まで行って良人を出迎えるということは殆どしないのであった。
 着換えの手つだいはこまこまと宏子が父親のまわりをまわってした。洗面所へもくっついて行った。泰造は、いかにも精力的に水しぶきをあげて顔を洗う。宏子は、側にタオルをもって立ちながら、
「あひるの行水ね」
と笑った。宏子
前へ 次へ
全52ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング