だが、会うとあれ程よろこびで輝くような父が、誕生日を楽しんで宏子が祝おうと思っていることなど自分から忘れて、すっぽかして行ってしまったところ、母もすっぽかして留守にしているところ、そういう点で、宏子は何か両親とは一致し切れない感情の肌理をもっているのであった。
 なお、あっちこっちしていた宏子は、やがて入って来た廊下のところから、脱いだ時のまんま片方庭土の上へ倒れていた靴をはいて外へ出た。台所の外から声をかけた。
「夕飯にはかえりますからって――」
 宏子は、本屋へ行く気になったのであった。
 一高の横手の通りは、本郷を貫く横縦の通りの中でも最も不便で不愉快な路の一つである。宏子は、歩道のない路を行き交う自動車に悩まされながら、大通りへ出て、三丁目の方へ向って行った。本屋のある側にうつろうとして、宏子が車道の空くのを待っている時であった。むこうの側の車道をつづいて二三台来たタクシーの一番前の横窓から、ほんの一瞥母によく似た女の顔が目を掠めた。見直した時にその車は、もう遠のいてしまった。
 宏子は、本屋へ入ると、そのことなどは忘れて、少し上気せた顔付になり、熱中して見て行った。この前、手
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