来るような眺めである。
 宏子は、呻るような喉声を出して、腕組みをし、庭を眺め入った。子供だった時分のこの庭は、燈籠と楓との裏に狭い小石をしいた空地があり、茶室の前栽も檜葉がしげって、趣があった。自動車をつかうようになって、泰造は庭の仕切りを前へ押し出させたと同時に、庭は昔のような落付きをなくし、荒れはじめた。宏子は親たちの生活ぶりというものを考え、深い興味を感じた。彼等は、一時大勢になりそうであった子供たちのためや何かで、住居も明治三十何年かに買ったままの部分へ、どしどし新しく洋間だの二階だのをつぎ足さして行った。一つの家だが入口と奥とでは東洋と西洋との違いがあり、またその東洋式に様式のちがいがあり、二つある洋間はまたそれぞれこしらえられた年代によって、流儀がちがっている。必要のために、平気で父は庭をちぢめてしまっている。そこには、家の中におさまって磨き立てている趣味とは全く反対のもの、年から年へとうつりかわる自分たちの生活で家をつかんで持っているような、傍若無人さのような、精力的ながさつささえ感じられるのである。加賀山の人たちは生活力の旺盛な人々である。その熱気は宏子によく分った。
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