塾の前に停留場があるきりであった。近辺には人家がない。一本道を更に余っぽど進んだころ、畑中に赤いエナメル塗の看板を下げた自転車屋の新開の店が目に入り、バスは右に折れた。そこで左右に年経た欅、樫、杉の大木が鬱蒼と茂り、石垣の上に黒板塀、太い門柱には改良蚕種販売、純種鶏飼養販売などの看板の出た川越街道へ合するのであった。
 この街道の古風な、用心ぶかい表情は、洋服を着た四百人ほどの娘が営んでいる生活とは全く没交渉であるように見えた。僅に地主の次男が出した文具店が一軒あり、その店からは主家に非常ベルがついていた。古くからの駐在所も角にあり、紫メリンス着物に白エプロンをした細君が、縞の敷布団を裏の空地で竹竿にほしているのが、往還から見えた。そういう界隈にまでは、塾の鐘の音も響かないのであった。
 二日の休みの後なので、月曜は、どことなくちがった気分がある。発音記号での書取りの時間に、宏子はその機械的な録音作業をいつもより沢山間違えた。
「ミス・加賀山、私はあなたがもっと注意ぶかく出来るのを知っていますよ」
 栗色の服を着たミス・ソーヤーに云われた。時間が終ると、隣りの席にいる杉登誉子が、
「あ
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