子の油絵が気に入って、その絵にあるような男の児を生みたいと朝夕眺めていたという話を、皆は半信半疑に覚えているのであった。
寄宿へ行ってから、もと宏子の使っていた部屋が仙台の電気会社へ就職して行った達夫の荷物置場になった。今、家じゅうにきまった自分の居場所を持たない宏子は、弟の部屋を出ると、父の書斎へ入って行った。
柱に女の能面をかけ、隅に陶器をしまった高い飾棚など置いてある室内には、泰造が消して二階へあがった瓦斯ストウブの微かなぬくもりが残っている。父用の文房具が並んだ細長い大卓とは別に、古い大理石のテーブルが屏風のところによせて置かれている。宏子はそこへ陣どった。そして、小型の原稿紙をひろげた。塾では、語学が専門であったから、西洋史なども英語で外国人の女教師が受持った。ところが、その教えかたは昔流儀の暗記一点張りで、内容が貧弱であるのと暗記の努力がばからしいのとで、学生一般から不評判であった。宏子としては、文学が好きで語学の勉強にも入ったのであったが、宣教師の女教師が、語学は地の言葉で出来るというだけで真の教養や感受性をもっていず、而も自分を何か格段のもののように振舞うことに、
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