が、ある滑稽さで云われる。人によっては、それを現代の娘の浪費癖という風にも見ている。男の学生たちが喫茶店にゆくのと同じ心理のように云う人もある。だが、それだけだろうか。
若い娘たちがその仲間と一緒に喋るとき、大人の目と耳でそれがたとえ幼稚でもおちゃっぴい[#「おちゃっぴい」に傍点]でも、本人たちはそれぞれ一城の主で縦横にやっている。勤めている娘さんたちは、仲間うちでは大体それぞれの家庭のそれぞれの条件は一応そのひとたちの内に収めて、語るとしても自分をとおして自分のこととして語ってつき合ってゆく。ところが、その家庭へ御免下さいと入って行くと、その中での娘さんたちの在りようというものは、決して勤め先で一人前に働いているその人のままの自立性ではない。断然、うちの娘として、独立した室を持っていないことが多いし、娘の友達としてお母さんたちとの交渉が生じ、その交渉では仲間とはおのずから異った目での批評もうけなければならない。話題、その喋りかたさえ気がおける。
たとえ娘の室は立派に独立していたとして、余程鈍感な娘さんならともかく、さもなければ、やはり、友達のものではない周囲の支配的な雰囲気に対し
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