を、青春の夢の実現の一つの形と思いこむことは、たやすく想像出来る。そして、娘心のその夢の実現のために今の社会で必要なのは金であり、良人はそれ故金持でなければならず、その判断で自分たちは前時代の女の感傷は失っているというようなことを、何か新しい価値のように思う不幸な敗北を告白するのである。この結論が、最も俗っぽい、青春の誇りを失った本質のものであることを、こう書いてみれば、否定する娘さんは恐らくそう沢山はあるまい。けれども、或る種の人たちのように、はっきり率直にその転落を表明もせず、従ってそれを考え直すという希望のあるモメントさえ自覚されず、しかも、どこか心の奥でそういう結論に立っているのが、或は大きい買物、小さい買物組の、ある共通性だということは無いだろうか。
 私たちは、ここに以上のような大きい判断の誤りを明白にみるのだが、この誤りの中からもその第一歩に在った動機として若い娘が自分の生活を求めさがしている気持には、無視しきれない視線を感じるのである。

 一寸話が変って、この頃の娘たちはよく外でお茶をのんだり、おしる粉屋へ入ったり、そのまたはしご[#「はしご」に傍点]をするということ
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