のである。
お嬢さんという境遇にいる若いひとが、この頃は自分たちにつけられるそういう呼び名を嫌って来ていることも面白い。何かそこに安住していられないものがあって、もっと虚飾のない、むき出しの、だが愛らしくぴちぴちした娘という響を自分たちの若さの表徴とする好みになっている。お嬢さん、と云われることのなかにおのずから重苦しく感じさせられる境遇の格式ばった窮屈さや、どこかでその力に従わせられている自分への反撥として、より簡素な娘という云いかたへの趣向があるのだと思われる。実際の条件がそれでどう変化しているかは兎も角として、私は娘なのよと云うとき、そこには若い女性としての自分の生活の領域が主張されている。
職業をもつことを、大抵のひとが自分たちの若い時代の生活に結びつけて不思議としていない今日の心持も、やはりこのお嬢さんぎらいの感情と共通の根をもつものだと考えられる。それぞれの程度で学生生活が終ったら、そのつづきで職業が持たれて行っている。就職のくちが割合どっさりあるということは今日の社会の条件からおこった需要で、各方面へ婦人の進出をもたらしているのだけれども、それらの職業についてゆく娘さ
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