っては感性的な生活の気分として感じられ、その中に生きられているのが強い特徴である。
 日本の今日の娘の生活という見出しで、たとえばルポルタージュ写真を撮るとなれば、これも手の込んだ仕事になるだろう。あるひと月をきめて、その月に現れる婦人雑誌の口絵写真を眺め合わせただけでも、ひとくにち娘さんと云われる年ごろの若い女性の現実が、どんなに多種多様になって来ているか。一方の端と他の端とではその日その日が何とも云えない大きいちがいをもって殆ど別天地のような姿を見せている。一つの雑誌の写真には、美しい流行の服装をした令嬢が一匹数百円よりもっとしそうな堂々たる犬を左右において、広やかな庭前で写真にとられている。
 他の雑誌では、機械工として働いている若い娘さんたちの姿、男がわりに田の植付けをしている娘さんたちの姿がうつし出されていて、両極端の現実に生きている娘さんたちは、互に心の底で何てちがう生活だろうと感じながら、しかし格別責任もない消費的なような目でそれぞれの生活を眺めあっているのだと思う。
 それでいながら、やっぱり何か求めて生きているということでは共通で、時代の色もそこに濃くあつめられている
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