んたちの内面的な動機にふれてみれば、婦人の技能の拡大のためという建て前からより、職業でも持てば、とそこに予想される自分の娘としての生活の何かの動き、何かの自立性への希望からだと思える。幸福を求めている気持を親にばかり託しきれず、一人の娘として世間との接触のなかにそのきっかけをも捉えたい心持が潜んでいるのではないだろうか。
 よく婦人雑誌に出るこの種の働く娘さんの、経済のやりくりを見ると、職業との結びつきの本質がまざまざと語られていると思う。こういう人たちは、自分たちの小遣帳に大きい買物、小さい買物という部をわけている。小さい買物だのお茶をのんだり映画を見たりすることは、自分たちの月給でまかなっている。大きい買物というのには服、靴、ハンド・バッグ、帽子その他が入れられるのだが、これらの大きい買物はみんな親に出して貰う。そして、その金額についてはひとしく沈黙が守られている。そういう基本的なところをまかせている生活態度について深く考えるということもないらしく、自分だけでは解決されているのだから、働く婦人として受ける報酬という社会的なこととして、それが足りなければ足りないことが考えられることも
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