おく気分、技術ではない女学校へ通う気分だということは、周囲の扱いだけの責任だろうか。
 文学の同好会のような集りへ、工場へ働いている娘さんその他の職場で働いている娘さんが来る。めいめい、何かを求めている心で集っているのだけれど、そういうとき、ごく一般的な文学談を、皆が同じようにやれるということで、現実に安んじない娘さんたちの気分が満たされるとしたら、何か甚だ頼りないと思う。娘として、生活の幸福を思うと、彼女たちも古いしきたりの標準を標準としてうけ入れて、何か働く娘としてではない部分でなければ幸福はつかまえられないように思い、自分としての生活や趣味というとき、そのような性質で何となく考えられている傾きがつよいのが実際だと思う。
 大きい買物、小さい買物組と、こういう娘さんとは境遇的にも社会的な立場も全くちがいながら、しかも今日の日本に生きてゆく娘であるということで、職業を持っていることについて、それと連関しての結婚問題について、同じ性質の矛盾と苦しい摸索の気持とを経験しつつあるのは意味ふかいことだと思う。

 二十から二十四五という若い娘さんは日本じゅうで何百万人いることだろう。その人た
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