囲の未来性も考えられる。そういう娘さんは、心持も朗らかなのだろうと思うけれど、その朗らかさは、云ってみれば朗らかに職業とは別に何か自分の生活を求めてゆく妨げにはならないのである。
 たとえば、昼間工場に働いている娘さんで、夜間女学校に来るひとの数が大変多くなっていることを、府立第六高女の校長が近頃語っていられる記事をよんだ。辛いが健気《けなげ》なそれらの娘たちは、夕飯をたべる間もなくやって来る。眠たい頭、つかれた体を精一杯にひき立てて勉強する。気遣われるのは、彼女たちの生活を衛生的に助けてやりたい点であると語られていた。
 それらの健気な娘さんたちが、そういう努力をとおして求めているのは何だろう。彼女たちが自分の現実に安んじていられない心からの動きである事は明かだと思う。その動きの方向が、技術学校ではなくて夜間でも女学校へと向っているところに、何かが語られていると思うのは誤りだろうか。いろいろ書いたものの上などでは女子労働者の重要な意味がこの頃はよく云われているのだけれども、その立場にいる娘さんたち自身は、そのように重要なものとしての自分たちの青春を感じられず、人前では工場の仕事を蔭に
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