かをつくってゆきたい。だが、その何かは、どういうものであったらいいのだろうか。どういうものだったら、承認したくない自分の現実に何か変化をもたらす力となるのだろう。
この場合でも、その何かが職業とは別のところで探されていることは、関心をひくところであると思う。或る場合には、面白くもないわが家を仲間の目からかくしておくと同じわけから自分の職業の種類さえ人の目からは蔭において、その上で若い娘として何かを探す。工場の若い男たちがどっさり偽学生の装《なり》をしている。あの現象には深いこの社会での哀れがこもっていると思う。工場から大学に通っている青年労働者のよろこびと誇りは現実に存在していないのだから、彼等の好学心や学生生活への憧れや、女の子が学生服の方がすきだということやら、いろいろからああいう服装が出来て、その姿で文化の上に或る一つの問題を示していると思う。
特に昨今は女学生と工場の娘さんとの区別がなくなったということは、或る意味ではうれしいことだと思う。何よりも、その年配の働く娘が急にふえて、全く装も学校のつづきで働いているからであるけれど、健康の状態も向上しているわけだろうし、職能の範
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