ことにある愕《おどろ》きを感じたのであった。大迫さんの娘さんとしての環境は現代の日本の中流以上の部に属するらしい雰囲気であるが、自分の枠のそとへ一寸出て、そこの生活を観る眼というものはたいへん素朴にしか成長させられていない。自分が今日そのような娘心でいる、その娘心を誰がどのように食わせ養いしているか、いろいろ職業らしいものを持ちながら、大迫さんが、自分とはちがった境遇に今日生きつつあるより多数の娘さんの明暮に思いを拡げず、同質の友達や先輩のうちに生活の環をおいて、疑ってもいない姿もむしろ悲しみを与える。
 さき頃セルパンに、今度の大戦になってからフランスのある若い娘の書いた手記が訳出されていた。今名を思い出せないけれども、二十五歳になっているその娘は第一次の大戦のとき姉や先輩たちの経験した女としての感情の擾乱を、自分たちは自分たちの青春の上にふたたびふりかかった歴史の相貌を見きわめて、ふたたびくりかえさず、世紀の波瀾をしのいで生きる決意があることを、落付いた美しい情熱で語っていて、感銘ふかかった。同じ世紀の「娘時代」が大迫さんの著書のような内容で日本では出ているところに、よろこびを見出
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